終りと始まり


人は一度与えられた生の中で、そう望むなら何度でも生まれ変わることができる。


人生何度でも、いつからでも、そう望んだ瞬間から方向を変えられる。


『今ここ』にいる。

その場所と

その場所にいる人と

自分が一番心地よい状態でいる。

自分にウソがない状態でいる。


少しでも違うことはしない。


純度を上げることが光はより広がる。

より遠くまで届く。


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今年の春分の日の朝、『心と体について探求している限り答えは見つからない』とわかりました。

『無我夢中』の中に私の求めていることがある、とも言われました。


空はわかる。瞑想で行ける。

夢中もなんとなくわかる。

だからなんとなく『無我夢中』の意味もわかったような気になっていました。


けど、わかる、とわかったような気になる、は同じようで全然違う。


2日前、『無我夢中』の感覚が突然わかって、それは、いわゆる『ゾーンに入る』ことでした。


時間の感覚がわからなくなるほど没頭する。

私には、過集中のクセがあるのだけれど、それが私の無我夢中でした。


知らないうちに、体の感覚も頭の感覚もなくなるくらい、やっていることと自分が同化している。


『無我夢中』が、私にとって純度を上げていくカギ。

方向を与えてくれるものは『表現』。



次の世界は、この『ゾーンに入る』純度をどれだけ上げられるか。

それがテーマのような気がしています。


今まで長い間、体と心について探求してきたのは、次の世界を楽しむために必要だったからだなと思います。



次の世界でまたお会いしましょう。








宇宙と調和する生き方

生まれてきた意味を知りたい。 ハイヤーセルフとつながりたい。 宇宙に生まれてきた『わたし』を楽しむ。

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