9. 正しいという幻想 理想という洗脳


自己否定。自分責め。

それは、私たちを生きる喜びから遠ざけるもの。


例えば。

私のことで書きます。


私の実家は車で30分離れたところにあり、高齢の両親が2人で暮らしています。

で、1ヶ月に1,2回覗いているのですが、父は2回に1回くらい
「一緒に住んでくれたらなぁ~(チラッ)」
とさりげなく言います。
2ヶ月に1回くらいは、本気モードで
「こっちに一緒に住んだら助かるんだけど」
と話をしてきます。


今のところ、私は一緒に住むつもりはありません。
そのことは両親も知っています。
知ってるのに、言ってきます。


その度に、帰り道、運転しながら自分責めが始まります。
私は恩知らずなんじゃないのか?
あとで後悔するんじゃないのか?


できるだけ自分たちで生活してもらう方が両親にとっては良いとわかっているのに、心情的にはつらい。やさしくしてあげたい。でも、無理。
その葛藤がしんどい。


何でそんな気持ちになるのかを見ていくと
やっぱり親のことは好きなんで優しくしてあげたい、という思いが大きいのだけれど、その気持ちの他に
この対応は正しいのか?
という問いがあることに気づきます。


だから、老人介護や医療関係の人やそういう経験をしてきた人に
「自分たちでできるだけやってもらった方がいいんです !」
と、言ってもらうとホッとする。


私は間違ってなかったんだ、と安心する。



例えば仕事に関することの場合も

誰かに、私の対応が、私の言葉が、私のやっていることが
『正しい』と言ってもらえると安心するし、ヤル気が出る気がする。



でも、この『正しい』っていったい何なんだろう?
『正しい』と言ってもらうと安心するって何だろう?


自分の行動が他人から支持されたり承認されることが『正しい』の証明になっているとは限らないのに。

どちらも間違っているかもしれないのに。


何かをしたいというどこからか湧き出した純粋な気持ちに
どうしたらいいのだろうと迷う感情のゆらぎに
『正しい』も『間違っている』もないというのに。



じゃあ、いつ私たちが『正しい』とか『間違っている』とかを気にするようになったのかというと、きっとそれは小さい頃。
両親や周りの大人たち、先生に教えられた。

正しいことをすると誉められて、間違っていると叱られる。


それはもちろん私たちを守ってくれたり、どういう風に生きればいいのかを教えてくれたり、いいこともたくさんあった。

けれど、それはどこかで『すべてのことに『正しい答え』というものがあるはず』という前提を、私たちの中に刷り込んだんじゃないのか。


そうして、私たちは『正しい答え』という幻想に自分を当てはめて、一喜一憂したり、モチベーションさえ支配されたりするようになっているんじゃないか。


だとしたら、それはとても不自由なことです。


正しさなんてものは、時代によって国によってその場の状況によって変わるもの。
なのに、そんなもののご機嫌を伺いながら生きるなんて、いくらお金や時間があっても不自由でしかない。


理想というものも、正しさと似ている。

自分の憧れやそうありたい姿と等身大の自分を比べてしんどくなる、ようなら要注意。


理想も、自分を奮い立たせるためのイマジネーションとして機能する場合はいいんだけど、理想とする何かに縛られて苦しむようなら、クレイジー。


理想の体型、理想の生活、理想のパートナー。

そういったものも、国や時代や状況によって変わります。

変化するものの特定の状態を理想として、そうじゃない自分と比較して苦しんでいるのなら、やめた方がいいです。


そして、その理想はどこからきたのか考えてみる。
テレビ?マスコミ?インターネット?雑誌?
情報は、すべて何らかの意図があります。
それを盲目的に鵜呑みにしてない?


自分の中から自分を責める声が聞こえたら、自分の中の『正しい、間違っている・良い悪い・理想』みたいなものと自分を比べていないか、振り返ってみてくださいねー。



===========まとめ==============================


Q : 自分を責めてしまうのはどうして?

A : 正しさや理想と比べるから

Q : でもついつい比べちゃうよ?

A : それはただのクセです。クセが強いだけです。



《宇宙と調和するために》

・自分を何かや誰かと比べない。

・自分を正しさ・良い悪いで裁かない。


《やってみよう !》

・自分責めが始まったら、なぜ自分が罪悪感を感じるか、その価値観を探る。

・理想と比較して落ち込むなら、その理想はどこからきたのか探る。




宇宙と調和する生き方

生まれてきた意味を知りたい。 ハイヤーセルフとつながりたい。 宇宙に生まれてきた『わたし』を楽しむ。

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