6. 光の体でありつづける

前の記事で、頭を使わない、ということを書きました。


頭を使わない、というのは頭を空(から)っぽににすること。

思考するのをやめて、頭の中を何も無い状態にすること。


空(から)っぽ=空(くう)

何も無い=無(む)


光の体には『今ここ』しかない

だから、過去をうらやむことも、未来を憂(うれ)うこともない。

過去の経験が痛みとなって反応する、悲しみや恐れや怒りといった感情もない。


光の体となって、ただ目の前のあるがままを観察する。

生きてきた中で肉の体にインプットされてきたフィルターを外す。


ただ、あるがままを見る

良い悪い、正しい間違い、好き嫌いといった価値判断するフィルター。

過去の体験の痛みから自分を守るために反応する、感情のフィルター。

こうすべき、こうした方がいい、という我のフィルター。


肉の体は、そうした我(エゴ)を、思考を使って正当化しようとするけれど

無垢な光の体は、そうした我の働きさえ、すべて、静かに観察しています。


そんな一切の誤魔化(ごまか)しのきかない世界が、アセンションの次元です。


みんな、そうだった

と、いうと、とても厳しい世界のように感じますが、小さな子どもの頃はみんなそうだったはず。


何しろ、無垢な光の体が、形ある世界を体験したい、と、この地球にやってきたのだから。


そうして、奇跡的に、一つの命として肉体を授かり、地球上に誕生した。

この地球で生きていく中で、たくさんのルールや知識や価値基準を知った。

覚えたルールや価値基準というフィルターを通して、人やモノやこの世界を見れるようになった。


でも、そのフィルターって、本当に必要なんだろうか?

そのフィルターを取って、世界を眺めたい。

そんな風に、全体意識は感じるようになったのが、きっと今なのだと思います。


我(エゴ)は悪くない

肉体が我(エゴ)が悪いわけじゃないのです。

肉体で我を体験することが必要だったのです。


そして、今、ここ。


光の体という、形ある世界を超えた次元を体験したいかどうか。


それが問われているのです。


体験したいなら、光の体であることに気づいて、光の体であり続ける。

光の体で、肉体を生きる。

光の体で、あり続ける。

宇宙と調和する生き方

生まれてきた意味を知りたい。 ハイヤーセルフとつながりたい。 宇宙に生まれてきた『わたし』を楽しむ。

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